ダシ材料各種

1300円

[06年01月11日]


 いよいよカントーに戻る、と云う日の前日、近所の古い商店街を訪ねる。この、200軒近くの小さな店が並んだアーケード街を抜けて、高校時代、私は通学していた。当時、海の彼方の「日没スル」処では、無数の人民が手に手に赤い小冊子を打ち振り、中南海の奥深くに坐す天子に熱狂的なエールを送っていた。そのムーブメントは、連夜、電波に乗せて届けられ、「日出ヅル」処のワカモノにも少なからぬ影響を及ぼした。しかし、これっぽっちも『進歩的学生』ではなかった我々は、翌日の教室でそれをギャグにして、みんなで大いに盛り上がり楽しんだ。‥全ては遠い昔の物語だ。
 6、7年前、その商店街を久々に訪れた。あの頃を偲ばせるものは、何一つ残ってはいまい。そう予想していた私は、呆気にとられた。ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア、見覚えのあるものばかりではないか。一軒の喫茶店の、窓越しに見える壁のポスターも、記憶にあった。アイスコーヒーの宣伝らしき水着姿のそのコは、今頃は、どこかで孫をあやしているのではないか。当時の時間と空間が、そっくりそのまま透明のアクリル樹脂に封じ込められている。すべては、悪意、もしくは善意に満ちたイタズラのように思われた。
 それから帰省の度に、私はこの通りを歩くようになった。足繁く通い始めると、今度は、残っているものより、移ろうものの方が目につく。古くからの小売店が看板を下ろし、その後に、鍼灸や足裏マッサージなどの癒し系サービス業の店が入る。私の目線が変わったのか、本当に変化のスピードが速まったのか、それは判らない。
 お目当ての鰹節屋は、今も健在だった。かなり若くはない、と思われる店のオバさんたちも元気で、ホッとする。ダシ文化の発達した当地では、家庭でも、目的によって、鰹、宗田鰹、サバ、ウルメなどを使い分け、組み合わせる。それらが店頭に、行儀よく並んでいる。カントーに移り住んで以降に自炊を始めた私は、雑節系に暗い。オバさんに相談しながら、品定めする。
 彼女たちは、お昼になると、商品の鰹節や雑節でダシを引き、同じ並びの生麺屋からうどんを買ってきて湯掻くという。さすがダシ材料を扱っているだけあって、その味覚は確かだ。料理ばかりか、遠近の食べ物屋さんに関するコメントも傾聴に値する。巷で評判の店でも、「あそこは、アジノモト、よ〜けつことるで」と容赦ない。
 美味い不味いの基準は、人によって違う。化学調味料を気にしないグルメもたくさん居り、私のように苦手派の人間には、彼らのオススメは必ずしも正解ではない。その点、このオバさんのような人たちの推薦は、とてもありがたい。知らない町で美味しい店を探す必要に迫られたら、まず古くからの鰹節屋を見つけ出し、そこのご主人にアドバイスを貰うことにしよう。オバさんと話しながら、ふと私は思った。
 サバ節、ウルメ削り節など、カントーでは貴重品の品々を、レトロな絵が刷られた紙袋に入れてもらい、店を後にする。日暮れが近い。家々では夕餉の支度の最中か。2、3時間もすれば、シャーフーに圧倒された大陸でも、人民が盛大に、味精を鍋に振り込み始めることだろう。