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天王寺の老舗昆布屋で購入。私は、昆布にはチと煩い。この昆布も尾札部産天然真昆布白口元揃えの一等検。市販品の中では極上クラスである。私は倹しく暮らしている。外で、きちんと引いたダシで拵えた和食を口にする機会など、皆無といってよい。世間並みに美味しいものを食べたければ、自分で工夫するしかないのだ。
工夫するしかないのだけれど、私には料理の経験も才覚もない。そんな人間が手っ取り早く美味しいものを作ろうとすれば、取り合えず最低限の調理知識を掻き集める必要がある。それも、闇雲に網を打って断片的知識を蓄えたところで、あまり使い物にはならない。同じ押さえるなら、出来るだけ調理や料理の原点に近いところがよかろう。そう考えてずんずん遡って行った結果、辿り着いた源流の一つがダシ世界だった。
ダシにはまって5、6年が過ぎた。しかし、私は未だダシ研究のレベルで右往左往しており、その上に枝葉を広げる料理界は全く未知の分野だ。逆に云えば、それだけダシの道は深い。ピタッと決まった生(き)のままのダシは本当に美味い。これを愛でる人々が増えれば、喫茶店ならぬ『ダシ』茶店が現れ、こんな会話が交わされる日も訪れるだろう。
主人:「いらっしゃいませ」
客 :「ここかな、新しく出来たってダシ茶店は?」
主人:「左様でございます」
客 :「じゃ、え〜っと、『オリジナル・ブレンド』一つ貰おうか」
主人:「承知いたしました」
・・・・・
主人:「お待たせいたしました。醤油はお使いになりますか?」
客 :「いや、いいよ。折角の香りが判らなくなるからね。ところで塩はある?」
主人:「こちらに」
客 :「‥‥おっ、真昆布だね、この、ダシの旨味と鼻をくすぐる繊細なフレバーは。しかも一呼吸置いて広がってくる味わいにカドがない。これ、天日干しじゃないの?」
主人:「お気付きになりましたか。少量ですが、産地に頼んで特別に干させておりまして」
客 :「産地は川汲浜かな。いや、これは流れ込む川の水に甘味がないと出ない味だ。尾札部だね」
主人:「恐れ入ります」
客 :「しかも、ここ2、3年の品じゃない。あっ、これは当たり年の96年のやつじゃないか! この、口全体に広がる味は。水害の前の、山からの水にミネラルバランスが保たれていた頃のものだ」
主人:「残り僅かなもんで、いつまでお出し出来るか判りませんが」
客 :「比率は、真昆布が7で羅臼が3か。貴婦人のような真昆布の香気に、羅臼の下町娘的なコシの強さが絡んで、絶妙なコンビネーションを見せている」
主人:「有り難うございます」
客 :「併せの鰹は本枯れ節。しかも枕崎沖の一本釣りだね。もちろん船上で活け締めにしてる。さもないと雑味が混じるから、この香りと風味は不可能だ」
主人:「塩の方はお気に召しましたでしょうか?」
客 :「う〜ん。大島の自然海塩かな? いや違う。小笠原の天然塩でもないし、能登の浜塩でもない。日本の海水塩にはどこか尖ったところがあるからね。かと云って、ゲランデでもクリスマス島でもない。海じゃないね、これは。岩塩かな? いや、析出の関係で、岩塩の方が塩化ナトリウムの純度が高くなる。そんな塩に昆布の滋味を引き出す力はない。お手上げですよ、これは」
主人:「チベットの塩湖のものでございます」
客 :「塩湖だって? 塩湖の塩も、岩塩と同じ原理で微量ミネラル分は少ないんじゃないの?」
主人:「湖水の成分のせいでしょうか。私も驚いたのでございますが」
客 :「それに、チベットの塩は中国政府が採掘も販売も禁じていると聞いたけど」
主人:(小声になり)「実は、ちょっとしたツテがございましてね‥‥」
<参考文献:ロアルト・ダール『テイスト』>
なお、文中の味に関する記述は多分に主観と推測を含んでおり、信憑性は保証の限りではありません。