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自由業の身分ゆえ、うかうかすると昼前まで惰眠を貪ってしまう。それを防ぐためにも、午前8時にはベッドから這い出すことにしている。ただし、這い出ただけでは、寒さに負け、布団に逃げ戻ってしまう。そこで、近所のチェーン展開のカフェまで歩き、暖房の幸せに浸りつつ、珈琲で目を覚まし、仕事の若干のウオーミングアップを図るのを日課としている。
この日も、微かに春の気配の混じる大気の中、店に向かって早足で歩道をゆく。いつもより30分以上寝過ごし、ゴミ出しも間に合わなかった。早く店に入らねばコンセント席も埋まってしまう。バッテリーがダメになり、繋ぎっ放しでないとノートパソコンは使えない。私はやや焦っていた。
その時、歩道の前方を塞ぐように突っ立つ、かなり大柄の人影が目に入った。朝日を斜めに受け、半身がシルエットに溶け込んだ、見るからに神々しい姿だ。古代ローマ人のような衣装をまとい、その下から真っすぐ横に伸ばした右腕の先には、大きく膨らんだレジ袋が下がっている。「ブッダか、さもなくばジーザスか!?」 一瞬、私は疑った。彼のポーズに、「お前は、今朝、これを出し忘れたね」と、無言のうちに叱責されているようでもある。が、近づいてみると、ローブは薄汚れた大きな毛布だった。男は、昨今の身奇麗な俄かホームレスではない、いわゆる古典的なルンペンだった。しかし、その彫りの深い顔立ちは依然として気高く、私はある種の感慨に打たれた。
朝の通勤時間帯のこと、この時も、かなりの通行人が先を急いでいた。なのに、不思議なことに、誰も彼に気付いた様子はない。あるいは、私だけに見える存在だったのか。振り返って確かめるのもコワく、そのままカフェに向かう。
この町の駅前には、時々、こういうジャンルの人物が棲みつく。22、3年前には、かの米国作家そっくりの人物が寝起きしていた。その見事なガタイと人相から、密かに私は『ガード下のパパ・ヘミングウェイ』と親しみを込めて呼んでいたのだが、長旅から戻ると、姿が見当たらない。何でも寒い冬の日に、近所の店員に水を掛けられ、それが元で命を落とした、というウワサだった。その後には、ショボくれた白髭の小柄な老人が、駅前風物詩となった。古木の杖が似合いそうな風貌に、『ねずみ色のガンダルフ』と私は尊称を捧げたが、彼もまた、いつの間にか掻き消えた。
旅先で見た、忘れられない光景がある。コロンビアの首都ボゴタでの経験だ。大通りで、私のすぐ前を、一人のルンペンが歩いていた。その時、反対方向からやってきた小洒落た若いカップルが、実に自然なそぶりで、自分たちが持っていたハンバーガーの一つを彼に差し出したのだ。「顔見知りか」と私は驚いたが、そうでもないらしい。一言二言のやりとりの後に両者は前後に別れ、施し物を手にしたまま、男は何事もなかったかのように歩き続ける。
当時のこの国では、ファスト・フード店のハンバーガーは、まだちょっとしたご馳走だった。「熱いうちに早く食べろよ」とヤキモキする私にお構いなく、200mは歩いただろうか。突然、スーッと右に彼がカーブし始めた。そして、前方の壁に凭れかかった同族に近づくと、手の中の物を半分に分けて渡したのだ。「ありがとよ、兄弟」「よき1日を、ご同輩!」 その程度の会話はあったのかも知れないが、それも、ほぼ一瞬の出来事だった。再び歩き出した彼の背中を眺めながら、私は衝撃を受けていた。治安が悪く、旅行者には『追剥ぎの街』として評判の悪いボゴタの、何と優しい一面なんだろう。
施しは、カソリックの教えの一つなのかも知れない。しかし、彼らの動きの中に、義務や責務を果たしている、といった驕りや堅苦しさは、ミジンも見受けられなかった。私は、宗教そのものに対しては懐疑的である。が、信仰が希薄になったから人の心が荒んだのではない。云うまでもなく、心が涸れた結果、信仰心も根絶やしになったのだ。