あさがほとはつゆきについて
1970年代初頭、私は関西大学の漫画同好会に所属していた。それは妙な漫画同好会で、会員の多くは、漫画以外の分野のほうに、むしろ興味を持っていたようだった。たいていは愚かな興味だったが。
我々は、その興味にしたがってミニコミをつくった。会員のだれも彼もが、いわば1人1冊という感じでミニコミをつくったのだった。唐突だが思いつくままにその当時のミニコミの誌名を列挙してみる。『むむむ』、『メニュヘン』、『テケ』、『イエローペーパー』、『コミキスト』、『どくろとすみれ』、『映画の星』、『映画談義』、『映画の夢』、『狂信』、『かいらくの館』、『四白痴』、『文藝戦線』・・・・それがなんだといわれれば、まあそれまでだけれど、私はこうして書き連ねるだけで、少し涙ぐみそうになるのである。
ミニコミ誌は、青焼コピー機というものでつくっていた(どうでもいいことだが、粉飾決算をして、結局消滅したミタの製品だった。ミタもそういう日光写真のような器械をつくっていたころのほうが幸せだったのかもしれない)。
それは、漫画の機関紙をつくるために共同で購入された同好会の備品だった。漫画の機関誌をつくるのは月に1度だったが、ミニコミは、毎日誰かがつくっていた。そうしたミニコミ誌の一つに「あさがほとはつゆき」という、妙な名前のものがあった。だがこれが、なぜか長続きしたのだ。結局このミニコミが、前述の1人1冊のミニコミを吸収してしまったような格好になったのだ。
私が漫画同好会、および大学を卒業したのは1975年だったが、「あさがほとはつゆき」はその後も続き、郷里の浜松で、私はせっせと手書きで版下つくりをしていた覚えがある(青焼きコピーは、トレシングペーパーに手書きして版下をつくるのである)。長続きしたといっても、号数でいうと6号まで、やがて沙汰止みになってしまった。卒業して夫々の稼業が忙しくなったことも原因の一つだが、ちょうどその頃漫画同好会のOBが中心となってチャンネルゼロという同人を発足させており、そちらの活動にシフトしたという事情もあったのである。
その後、チャンネルゼロは漫画本や雑誌を発行する会社組織となった。チャンネルゼロは、現在も大阪で活動を続けている。ところで第一号の「あさがほとはつゆき」をつくったのは、私の3年先輩のTで、妙な誌名を考案したのも彼だった。ちなみに彼、Tが、出版社になったチャンネルゼロの社長におさまったのである。
私は、第2号からその誌名を引き継いだような形で6号まで編集を行った。誌名の変更は、後輩としては、どうもいいだせなかったのである(麻雀か何かの借金があったのかもしれない)。
私としては『ラバーソウル』とかなんとかいった題のほうがよかったのだが。最後の発行となった6号は、すでに私が社会人になって、ある程度の時日を経過してからのもので、1980年の1月に出した。この号は、奮発して手書きではなく、写植のオフセット印刷でつくった。その後、発行を中断したのは、私はすでに気楽な独り者ではなくなっていたという事情もあったのだ。
「あさがほとはつゆき」という誌名は、センスは、相変わらず悪いが、すでに私のなかでは愛着以上のものになってしまっている。そこで、私は、以下のような牽強付会をおこなってみたくなるのだ。
「あさがほとはつゆき」とは、つまり「夏と冬」であり、そしてそれは四季であり繰り返す時間であり人生の夏と冬を意味しているのである、と。そしてそれがなんだといわれれば、いいかえしようはないのだが、私はそんなことを考えると、またしても、少し涙ぐみそうになるのである。
その古めかしく、私を感傷的にさせる「あさがほとはつゆき」をネットの上に持ち出そうというのである。昨年の晩秋、大阪を訪ね、漫画同好会時代の友人二人と出会ったことがそのきっかけだ。ミナミの蕎麦屋で一杯やりがら、3人の中年男は、あの頃の思い出話と、そしてコンピュータの話を交互にしていたのである。思い出話をくどくどやるのを、われわれ感傷的な中年男は大好きなのだし、コンピュータの話をするのは、そういう話をしていれば、時代に取り残されていないという安心感をもつことができるからだ。まあ錯覚だが。その両方をくっつけようといいだしたのは、物書きをしている1歳年長のMだったか、それとも私だったか。
そういう次第で、「あさがほとはつゆき」がWWW上に、開くことにしたのである。酔った上で、そういうことができる気楽さは、インターネットの功徳といわねばならない。「あさがほとはつゆき」は、あの頃のわれわれの愚かな興味の赴くままに、書き散らかしたコラム、およびエッセイを掲載していた。Web版「あさがほとはつゆき」がやろうとするのは、現在のわれわれの愚かな興味の赴くままに、コラム、およびエッセイを書き散らかすことである。
われわれは、利口にもならず、ただ年を食っただけだということを哀しく思うとともに、ほろ苦く笑いつつ、また幸福であるとも思うのだ。
緩鰻堂