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東電核惨事は日本近代の結末である。地震と津波は自然のものであり、震災は文明のことである。そして東電核惨事は日本近代の文明とその政治の結末である。この核惨事がいかに惨憺たる事故であるかは時間とともにますます明らかになる。われわれは今、西洋にはじまる近代資本主義文明のその果てにおこった事態の渦中において、これをのりこえられるのかという現代文明の中核問題に直面している。 近代は核力を制御できない。ここに核惨事の本質がある。核力放出の根拠は相対論と量子論にある。それは近代の枠組みとしてのニュートン理論を超える一般理論である。近代とは近代資本主義であり、それは自然と人を、物と力を分離しなければ世界をとらえることができない。それに対して、核力はその統合と相互転化を根拠とする。個別論による近代社会が一般論にもとづく核力を制御することはありえない。制御しうる世があるかどうかは開かれた問題である。まず何よりすべての原発を止めよ。 経済は方法であり手段であって目的ではない。人間は生きるために経済を組織し、力をあわせて働く。逆ではない。強欲にカネを儲けて幸せか、これが問われている。世界はいま、人間の原理にもとづく世のあり方を求めて動いている。これが現代の基調である。われわれはこの歴史の曲がり角を否応なく生きている。近代造語で支えられた根拠なき虚構の知を解体し、ものとこと、自然と人、物質と力が分け離されることのない場を、自覚して今に甦らせなければならない。復興はここにしかない。 いのちと言葉が輝きをとりもどすときは来る。惨事のなかで、逝き去ったものの思いを受けとめ、いのちが洗われ言葉が甦る。言葉において深く根づく人々こそ、言葉をこえて結ばれる。日本語のことわりにおいて考え、生きんとするものがいるかぎり、希望はある。新たな世の形ができるまでには、さらに困難な段階を踏まねばならない。だがそこに人間の再生がある。日本近代百年の苦悩は新しい時代の肥やしであり糧であり、新しい時代の深い普遍の礎である。 |
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