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| 岩国スカウト運動の先駆者、小島孝惇(岩国第1団委員長)が「そなえよつねにのこころ」について、「スカウトニューズ」(浄土真宗本願寺派・スカウト指導者会発行)の掲載文章として、書き記(しる)したものです。 少しでも皆さんのお役に立てばと思いつつ・・・ |
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スカウト運動との50有余年 |
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今にして偲ぶ。昭和22年の敗戦の真只中に国民等しくその去就の道を見失っていた時、11月28日、岩国市錦見「西光寺」の庭に、敗戦の渦中から立ち上がって未来の日本に真に貢献しうる人材の育成を願って、ボーイスカウト隊を発足させた。 心ある隊の役員と、隊指導者は、横山・錦見両中学校を訪ね、校長先生の勧めを得て、隊員募集により34名の新隊員を擁して、隊の結成をみた。 スカウティングの初志は、創設当時から現在に至るも未来にわたって、B-Pの心を心として歩む若者の道に変わりはない。 この記念すべき年を将来への継続と発展を期し、大同小異の心を心として歩みたい。 |
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「創立45周年記念誌(1992年)より」 |
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ボーイスカウト岩国第1団・ 団委員長 小島孝惇 |
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「スカウトニユーズ」・・・ 『そなえよつねに』 の心に学ぼう |
| 以下の文章は、岩国第1団団委員長小島孝惇が、1999年10月5日発行の「スカウトニューズ」(浄土真宗本願寺派・スカウト指導者会発行)に掲載するため執筆したものの全文を紹介しています。 |
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| はじめに |
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三 指 ボーイスカウト運動に「ちかい」を立て、志を一つにして、スカウトの道に参加されている本願寺派スカウ卜指導者会の「スカウト・ニューズ」へ原稿を執筆させていただくことは光栄に存じます。 |
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スカウト運動との出合い 終戦後、私が最初にこのスカウト活動に誘われた動機について、申し述べてみたいと思います。昭和21年12月末に、私の龍大時代の親友が、終戦後比島において戦病死し、その遺書に「寺の後事を頼む」とあり、今の寺へ入寺することになったのです。 終戦直後の日本の杜会は混沌として、青少年の教育をどうしたらよいか、確立した方針のない時、岩国市錦見の西光寺の見山隆宣言師が、私に対して「君、ボーイスカウト運動やってみないか」との誘いが発端で、見山師の友人で、岩国在住の田村保先生を紹介して下さいました。 このボーイスカウト運動は、世界共通(共産国以外の国々)で、各国スカウトは、誓いを立てて入団しているとのこと。その誓いの第一条に「神(仏)と国とに誠を尽くしおきてを守ります」とあります。私共には、打って付けの、宗教信仰を軸にした運動です。 そして、世界中のスカウ卜共通の標語が「そなえよつねに」であったことを、浄土真宗の教義に照らし合わせると「仏と国とに誠を尽くし(加えて)み仏の本願を信じ、備えておく」ことは、平生業成のことです。いつどうなっても弥陀如来の救いのみ手の中にあるということと理解し続けようと思いました。 こうして昭和22年、戦後荒廃していた日本社会にボーイスカウト運動はマッカーサー司令部より許可され、再発足しました。 |
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スカウト指導者として 昭和22年9月、山口市法泉寺の森で、終戦後第一回のスカウト指導者講習会が、3泊4日のキャンブ生活で、スカウト運動の理論と実修を体験しました。そしてこの道の指導者の資格(ライセンス)を得たのです。 当時県内の有志が四十余名参加しましたが、この講習会の所長が田村保先生でした。 この講習会修了後直ちに有志と協議して昭和22年11月28日、岩国に初めてのボーイスカウト隊を結成したのです。会場は西光寺(岩国市)の庭で、スカウト36名、隊長は私が仰せつかり、この道を開拓していきました。その後、平成9年11月24日に団創立50周年を迎え、この間スカウトの道を『そなえよつねに』の心で歩んできました。 昭和23年5月山口県連盟が結成され、その理事として勤めました。 昭和34年7月下旬より8月上旬まで2週間、第10回世界ジャンボリーがフイリピンマニラ郊外のマッキリン国立公園で開催され、山口県内からスカウトを率いて参加し、帰国後直ちに滋賀県琵琶湖畔饗庭野の営場で日本ジヤンボリーに参加しました。 |
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スカウト宗教章の誕生 昭和36年5月、日本連盟の全国会議が松山市伊予銀行講堂で開催されました。 私は世界ジャンボリーより帰国後、県連盟の理事長を仰せつかり、その総会に県連の代表役員を伴って、この全国会議に参加しました。 総会は「スカウト宗教章を」との提議が上題され、協議した結果、満場一致で可決されました。 各宗教団体はその後、種々協議して「宗教章」への道を拓いていきました。実際に日本連盟全国会議に提案されたのは、当時日本連盟理事であった村山有でした。 この方は、ジャパンタイムズ社(英語新聞の記者)に勤務し、外国のスカウト行事に日本派遣団の代表スカウトを引率して参加されていました。 ところが、外国スカウトの野外行事には、必ず野外礼拝(スカウツ・オウン)があって、それぞれ各自の宗教信仰によって各宗教の礼拝行事にみな参加しているのに、日本派遣団のスカウトは参加していないのを見て、村山氏は帰国後日本連盟に議って、今般の松山の全国会議にスカウトに『宗教章を』と提案されたのです。 |
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スカウト宗教章の中の「仏教章」 省みて日本のスカウト運動に宗教の必要性を訴えられていた先駆者は、中村知先生でした。中村知先生は、現在栃木県連盟の理事長であり、本願寺派スカウト指導会の相談役中臣昭範先生の義父でした。先生は英国のギルエル実修所で既にその事の重要性を学んで帰国され、早くからその重要性を説いておられたのです。 |
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| 中村知先生の叫び声と村山有先生の申し出によつて、日本の「ボーイスカウトに宗教章を」と総会終了後、各宗教団体は相協議してその開拓に尽力しました。幸いに村山有先生は仏教の中の浄土宗であられたこともあり、仏教各宗がおたがいに協議し宗教章を仏教章として、統一した指導のもと、 (イ)釈尊伝 (ロ)仏教の教義 (ハ)各宗の開祖の歴史 (ニ)その宗派の教義理解 (ホ)仏教讃歌 (へ)仏事学習 等、各宗派での研修行事を経て仏教章は確定されました。 そのシンボル六金色旗(仏旗)を礼拝対象とし、バッジに法輪マークを標示して仏教章と決め、今日に至つているのです。 |
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2000年B-P祭にて |
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『そなえよつねに』の心に学ぼう スカウトである限り「そなえよつねに」のモットーは、共通して実践しなければ、スカウトとはいえないのです。特にその根本精神は宗教信仰の確立にあるのです。 浄土真宗の教えに生きる本願寺派スカウトは、指導者も等しく「信仰の確立→平生業成への歩み→生涯聞法の営み」の上に、世のため、人のために奉仕活動に精励するのです。そして、スカウトの道によって「そなえよつねに」の根本精神の修得に専念し、スカウト技能を発揮することと思います。 この「そなえよつねに」の根本精神は「いつこの一つのいのちが果ててもよい準備」(信仰確立)です。 万一この「そなえよつねに」の信仰確立の努力が不足していた方々は、今からでもおそくないので、勇気を出して宗祖親鵞聖人の示された、本願力廻向の念仏生活を歩みましょう。「そなえよつねに」の根本精神を忘れずに、仏教スカウトは「信仰の確立の努力の上に、スカウト奉仕、スカウト道」を歩みたいと思います。 この歩みに、スカウト仲間として、ともに手を携えてゆきたいものと考えます。 |
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合 掌 |
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